シュアーM97xEで天地真理を聴いてみると [オーディオ]
これまでずっと、カートリッジはDENONのDL-103と昇圧トランスのタムラTKS-27で、
イコライザーアンプの入力抵抗47kΩを外していました。なので、MM型は使えませんで
した。重い腰を上げて(^^;昇圧トランスにSWでTKS-27をパスして、47kΩが負荷
にできるようにしてみました。
もう2~3年シュアーは聴いていませんでした。慎重にプレーヤー全体とカートリッジ
の水平をチェックして、針圧は標準の1.00gで聴いてみました。勿論インサイドフォース
キャンセラーも1.00gの目盛に重りの糸をかけて、糸とメモリの棒との直角を調整しま
した。
(写真は他からお借りしました)
下の写真は、恥ずかしながら自作のTKS-27昇圧トランスの実物です。(^^;後ろに
ちらっと見えるのは、DENONの昇圧トランスAU-320です。
右側の2個のSWでMCとMMを切り替えます。
真空管式差動ヘッドフォンアンプで、天地真理のLPを何枚も聴きましたが、「私は天地
真理」のライブアルバムの高域の声が際立って美しく、伸び伸び聴こえたのが印象的で
した。
DL-103との聴き比べは、改めて書きたいと思います。
ラフマニノフの衝撃 [音楽]
学生時代、私はこのレコードで初めてラフマニノフを聴きました。アシュケナージのA面の
協奏曲2番も素晴らしい演奏ですが、B面のパガニーニの主題による狂詩曲も大変良い演奏
です。
それはさておき、初めてこのレコードをかけた時、これは「君といつまでも」のメロディー
ではないかと、大変驚いた記憶があります。
パガニーニの第18変奏曲のメロディーと「ふたりを~」は酷似しています。元はパガニ
ーニ作曲なので、当時からでも100年以上経っているので、著作権等の問題は無かったので
しょう。この話はクラシック音楽ファンなら知っている人は多いと思います。(^^;
(写真は他からお借りしました)
天地真理「水色の恋」の著作権問題は、私は最近知りました。聴き比べてみましたが、
私としては、何とも言いようがない微妙なところだと思います。「水色の恋」がヒット曲
になったからこそ、この様な問題が発生したのだと思います。
おそらく、弾厚作(加山雄三氏)はパガニーニのヴァイオリン曲ではなく、こちらの、ラフ
マニノフのピアノ曲で「君といつまでも」の作曲のインスピレーションを得たのだと思いま
す。そして、確信犯として作曲したのだと思います。(^^;
ラフマニノフのロマンチックで情熱的なこのレコードを、真理ちゃんの写真や画像を見な
がら聴いていると、天地真理病がさらに重症になって行きます。(^^;
オーディオの迷信 インサイドフォースキャンセラー編 [オーディオ]
ネット上でオーディオマニアの方々の意見を見て回っていると、色々な意見があり、楽し
いのですが、誤解もあるようです。今回私のプレーヤーでも、きちんとインサイドフォー
スキャンセラーを調整したら、左右のバランスが一層良くなりました。特に位相が揃った
感じがします。(^^;
一方で、インサイドフォースキャンセラーについて迷信を持っておられる方もいる様です。
下の写真の糸で吊ってある重りによってインサイドフォースをキャンセルする機構です。
写真は私の持っているSMEのアームと同型の物です。私のはこんなには錆びていません。(^^;
(写真は他からお借りしました)
下の画像は、私の持っている日本放送協会出版の「レコードプレーヤ」山本武夫著から
です。よく勘違いされている方の考え方は、摩擦力Fは針先とレコード盤によるものなの
で、トラッキング角φで出てくる成分Fsinφはインサイドフォースの源ですが、この力も
針先にかかっていると考えてしまいがちです。針先に針圧相当の質量があり、アームが
圧力を何もかけていなければ正しいのです。しかし、実際には針圧相当の質量をテコの
原理でアーム全体で作り出しています。ですから、Fsinφの力はアームのカートリッジと
ヘッドシェルあたりにあると思われる「質量中心」に働きます。
もう一つの考え方は、摩擦力Fに対しての反作用として-Fの力を考えれば、これはアーム
全体で針先を反対側に引っ張っています。これのインサイドフォース成分は-Fsin(-φ)=
Fsinφとなり、インサイドフォースは針先でなくアームにかかる力であると理解できます。
下の図のような針先だけで力を考えてしまいがちですが、下の針圧のベクトルOAは針の
質量ではなく、アーム全体で押し付けた力だという事を忘れては行けません。
インサイドフォースは針先にかかるので、カートリッジはゴムダンパーで結ばれており、
弾性があるために、アームで反対方向に力をかけても効果はない、効果は薄いという意見
は私は迷信だと思います。(^^;
私はやったことがありませんが、この本によれば、片面録音のソノシートの裏面の音溝の
無いところで実験すれば、針先を含めたアーム全体が内側に引かれるのが観察出来るそう
です。
真理ちゃんのステレオには、インサイドフォースキャンセラーは付いていたのでしょうか。
(^^;
真理ちゃんはフォークギターは弾かないの? [音楽]
近代ではナイロン弦のギターのことを普通クラシックギターと呼びます。クラシックを
やればクラシックギターですが、歌謡曲やフォークでも使われます。スチール弦の「アコ
ギ」のギターは一般にフォークギターと言って差し支えないでしょう。歌謡曲やフォークに
どちらを使うかは、演奏者の好みでしょう。
余計なお世話ですが、他のブログで勘違いされていた若い方がおられましたので、注釈して
おきました。(^^;
下の3枚の写真は、私が動画や音声等で真理ちゃんが「クラシックギター」をちゃんと弾い
ているのを確認したものです。フォークギターを弾いている映像は、私が多数集めたものに
はありませんでした。
(写真は全て他からお借りしました)
「時間ですよ」より。「この広い野原いっぱい」「恋は水色」等
映画「虹をわたって」より。「ママの子守唄」
「私は天地真理」より。
ご自分の部屋にも「クラシックギター」が置いてあります。G線が巻線の様に見えるので
弦はSAVAREZをお使いだったのでしょうか。
下のジャケットの写真のように、フォークギターを持って構えている写真も多くあり
ますが、実際に真理ちゃんが弾いたかどうかは不明です。
真理ちゃんはおそらくギターは、「クラシックギター」で始めたので、スチール弦の
フォークギターは苦手なのではと思います。
ちなみに、真理ちゃんはファーストポジションのコードをアルペジオ(スリーフィンガー
ではなく、フォーフィンガー)で上手にちゃんと歌の伴奏が出来ます。
森昌子でも真似できない天地真理の歌声 [音楽]
最近やっと見つけた映像ですが。(^^;
下の画像部分は、昭和51~2年ころの放送だったと思います。当時リアルタイムで見た
ような記憶があります。当時は、森昌子は歌真似が上手いなと感じていたと思います。
しかし、現在の私が見てみると、あまり似ていないなと感じています。(^^;
歌い方の特徴はよく捉えていますが、声質が異質です。天地真理流「ファルセット」は
森昌子でも簡単には真似できなかった様です。それと、形態模写ではありませんがマイクは
右手です。森昌子は自分の歌を歌うときは左にマイクを持っているので、癖が出るので
しょう。下の画像は真理ちゃんはまだ歌っていないので、右手です。次の画像の、歌うとき
は森昌子に合わせて、真理ちゃんも左手に持ちかえて、恋する夏の日のあのポーズをとって
います。ちょっと変です。(^^;
(写真は全て他からお借りしました)
お二人の歌声が比較できるので、その違いが良くわかります。
やはり、下の写真と比べると、変です。(^^;
ところで、当時真理ちゃんはこのポーズを何回やったのでしょう。多分すごい回数だった
と思います。(^^;
森昌子が他の歌手を真似て歌うほど、真理ちゃんの真似は、あの天地真理流の「ファル
セット」を攻略できていないので、私は似ていないと思います。(^^;
天地真理の歌声は、やはり特別に素晴らしい声であることを、はからずも、森昌子が証明し
ていると思います。
CBSソニーの真理ちゃんが何故AIWAの製品を貰ったのでしょう [音楽]
この写真を見たときに、何故AIWAなのか、何故ソニー製品ではないのかと、疑問を持ち
ました。人気女性タレントのNo.1の様な類の賞の時の写真だと思います。当時ラジカセは
大変人気の製品で、確かAIWAが最初に商品化したと思います。
調べてみるとAIWAは私が高校生の頃に、ソニーのグループ会社になっていました。なる
ほど、「ケイレツ」なのです。
(写真は全て他からお借りしました)
私が社会人になった頃は、まだ「ケイレツ」の結束が固く、他のグループへビジネスを
拡げるのは大変困難な時代でした。
真理ちゃんは、ソニー⇒CBSソニー⇒AIWAの「ケイレツ」をしっかり守って、にっこり
しています。(^^;
真理ちゃんはソニーグループで、小柳ルミ子はパイオニアグループなので、プロダクション
が同じでも、ごく初期に三人娘で一緒の写真がありますが、だんだんと一緒の写真が減って
いった気がします。
グローバリゼーションという言葉が言われるようになって、企業間の系列の垣根は大変低く
なっていった記憶があります。
シモンズの「いそいそ出かけて 行きました」 [音楽]
私が学生の頃は、シモンズの「恋人もいないのに」の曲が大変好きで、下の写真のレコード
も買って今も持っています。主に3度の和音でハモらせながら歌う美しく爽やかな曲です。
また、歌詞も「いそいそ出かけて 行きました」等印象的な言葉が心に残ります。
(写真は他からお借りしました)
ところで、天地真理もこの曲を、ファーストアルバムで「一人」で歌っています。(^^;
天地真理「思い出のセレナーデ」では、「あなたのもとへいそいそと 季節の花をかかえ
ては」という歌詞があります。「いそいそ」という言葉は大変良い言葉だと思います。
シモンズは「いそいそ出かける思い出の海」で真理ちゃんは「あなたのもとへいそいそと」
です。どちらも、かってあなたと行った「海」や、あなたの「部屋」へいそいそとです。
どちらも、別れたあなたを想う失恋の歌だと思います。
奇しくも、どちらの曲も「いそいそ」という言葉が使われたのは、大変興味深いことです。
今日では、「いそいそ」という日本語はほとんど死語になっていると思います。こんな良い
言葉はもっと使われても良いと思うのですが。(^^;
宇宙論まとめの一冊 [お勉強]
Newtonは滅多に買わないのですが、下の本は現在の私にピッタリです。宇宙論の一般向け
文庫本を多数乱読していましたが、書かれた年代が色々でした。それを、一般向けに最新の
知見で総まとめしてあります。写真やイラストが綺麗です。(^^;
内容もよく整理してありわかりやすい簡潔な説明になっています。
たくさん読んだ文庫本の内容を少しノートに整理しょうかと考えていましたが、この一冊
があればその必要はありません。一般向けの本はこの辺で卒業して、相対性理論をまずは
数学的に攻略しなければなりません。(^^;
天地真理の「思い出のセレナーデ」は寂しい曲なのでしょうか [音楽]
「恋する夏の日」、「空いっぱいの幸せ」、「恋人たちの港」、「恋と海とTシャツと」
に続いてこの曲「思い出のセレナーデ」を当時聴いたときは、「元気で笑顔の可愛い真理
ちゃん」は何処へ行ってしまったのかと思いました。(^^;
学生時代はこの曲あたりから私は天地真理の曲を聴かなくなりました。この曲の後の
「木枯らしの舗道」もそうです。
(写真は全て他からお借りしました)
しかし、現在の私はこの曲は大変良い曲であると思っています。レコードを聴き直すと、
マイナーのバロック調のピアニスティックなメロディーが、心を打ちます。ただ、この
曲は、別れた「あなた」への強い「思い」は綴られているのですが、それがどうなるのかは
曲を聴いただけでは分かりません。
「水色の恋」では「いつまでも私の思い出に」と言う事で「あなた」を思い出として解決し
ています。
「あなた」は「ファンである私」(^^;なのですから、この曲の「なぜにいまはとどかな
いの」という真理ちゃんの思いが、何時になったら私の胸に届くのだろうかと、旋律的に
も、歌詞的にも、解決しないもどかしさが当時は残りました。
現在はそんな事はどうでも良いことで、この曲は聴けば聴くほど味わい深い曲で、天地真理
の歌唱力も優れたものを発揮していると思います。
天地真理は「白雪姫」になりたかったのでしょうか [音楽]
昭和46年10月発売の、デビューシングル「水色の恋」の「白雪姫みたいな心しか
ない私」に由来する、「白雪姫」というキャッチフレーズやイメージ造りは、新人歌手の
天地真理を売り出すために、デビュー当時は大成功だったと思います。しかし、今日私が
集めた画像では「白雪姫」が活字になっている物は意外と少ないです。
昭和46年12月発売のファーストアルバムには「ソニーの白雪姫」の記載が帯に大きくあり
ます。昭和47年6月発売のセカンドアルバムの帯に小さく「ソニーの白雪姫」とあり
ます。
私がネットで集めた記事の中に「ひとりじゃないの」歌詞について「白雪姫」のイメージを
保つ考慮がされたという当時の関係者の記事を読んだ事があります。
その後、「ふたりの日曜日」で王子様が出てきてめでたしめでたしということでしょうか。
天地真理が「白雪姫」であろうとなかろうと、過去も、現在も、アイドル歌手から大人の
歌手へとステップを踏めた歌手はほとんどいない事も事実です。
天地真理が活躍した時代は、もはや歴史の1ページと成ってしまっているので、私なんぞが
あれこれ考えても仕方がない事ですが...。「白雪姫」的なイメージから大人の歌手への脱皮
に、真理ちゃんも結局うまく行かなかったのは歴史的事実でしょう。(^^;
「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるように、世代世代で歌に対する嗜好が変化
していく世界で、長く歌手として活躍していくのは大変困難なことだと思います。
天地真理ご自身が「白雪姫」と言われる事をどう思っていたか、「白雪姫」を卒業したら
その後どんな歌を歌いたかったのか、という事に私は思いを巡らしていますが、やはり、
私なんぞに分かるわけがありません。(^^;