あがり症 [クラシックギター]
私はもはや、恥も外聞もない老人になったと思っていました。(^^;
ギターのレッスンに通うようになって気が付いたのですが、まだ難しい曲をやっている訳
でもないのに、先生の前で少しあがってしまっている自分に気が付きました。
考えてみれば、家内以外の人前で弾くのは数十年ぶりでしょうか。学生時代から人前で
あがらずに演奏できたことは一度もありませんでした。最近家で練習用に録音機のボタン
を押しただけでも少しあがってしまっている自分が不思議でした。
(イラストは他からお借りしました)

ネット上で調べてみると、緊張しやすいい人の特徴として以下があると出ていました。
①自意識過剰
②ええかっこしい
③逃げ癖
根拠もなく自分は注目されていると思い込み、そして、上手い演奏が出来なければいけな
い。失敗すると嫌だから、演奏したくない。などと私の場合にもよく当っています。
(^^;
昔は、テニスの試合や入試なども、あがってしまって失敗を重ねた記憶があります。要は
人前に出るとあがってしまうのです。
そのうちギター教室の発表会もあると思いますが、私としては演奏技術よりも、人前であ
がらずに弾くには?と言う事が研究テーマになりそうです。(^^;
天地真理 私の好きな1枚 その53 [日記]
お化粧中?。1枚ではありませんが。(^^;
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ひょっとすると、下は左右反転している可能性がある気がします。それとも鏡?。(^^;


-640e8.jpg)


下は、雑誌掲載時に左右反転されたものです。(^^;

昔の雑誌の写真は、記事のレイアウト上故意に反転させることがあったうようです。
天地真理 6年目 [日記]
2017年2月1日からこのブログに、恥かしながら恐る恐る真理ちゃんの事を書き始めて来週
で6年目に入ります。(^^;
あらためて、当時の私が自然と真理ちゃんにハマって行っ事を思い出してしまいます。
当時私は浪人中でしたが、1971年10月1日発売の歌手デビューシングル「水色の恋」で
「遠く去って行く人」への思い出を綴りました。「時間ですよ」に出て歌っていたのでレコ
ードを出してもらったのだろうとしか思っていませんでした。ファーストアルバムが1971
年12月21日に出ましたが、その頃はまだ「歌謡曲」のレコードなんぞを買うと言う気分に
はなりませんでした。
真理ちゃんは、次に私が入試の最中の1972年2月5日発売の「ちいさな恋」で「ちょっと
こわいの恋かしら」と新たな恋の予感を感じさせました。これで私は天地真理という歌手
にグッと引き寄せられました。
そして、晴れて大学生になった後の1972年5月21日発売の「ひとりじゃないの」で「ひと
りじゃないってすてきなことね」と新たな恋人の「あなた」が出てきます。当然この「あ
なた」は私の事だと思って、侘しい下宿住まいもあって、あっという間に天地真理病青年
になってしまいました。この間はテレビなどの放送で聴いていたと思います。(^^;
1972年6月1日にセカンドアルバム「ちいさな恋/ひとりじゃないの」が出たら直ぐに
買いに行きました。恥ずかしかったので、クラシックのレコードを重ねてレジに行った
のを覚えています。
ジャケットと付録のポスターの、大きな真理ちゃんの写真に圧倒された記憶があります。
さらに、オマケのドーナッツ盤の真理ちゃんのピアノの演奏には「へ~」と感心ました。

ポスターは、これだったと思います。もちろん下宿の壁にずっと張っていたと思います。

下が、現在の「私は歌手」のボックスにも使われている写真です。

当時はクラシックのLPしか頭に無かったのでシングル盤は買いませんでした。天地真理病老
人になってしまった今では遅まきながら、ヤフオクで全シングルを入手して悦に入っていま
す。もちろん、アルバムなどのLP盤も、ヤフオクで持っていないかった物を全て集めまし
た。(^^;
学生時代は4年で真理ちゃんを卒業してしまいましたが、今は永久に天地真理病老人でいる
つもりです。(^^;
天地真理 「はばたけ!真理ちゃん」#22 [日記]
「ピーターパン」第二回ゲストあいざき進也ほか
少々ダレて来たのか、私が毎回勝手に写真をお借りしている方々の写真の数が減ってきまし
た。ますます「アタック真理ちゃん」が見たくなりました。衛星劇場様、天地真理病老人の
期待を裏切らないで下さい。(^^;
(写真は全て他からお借りしました))(順不同です)







純米大吟醸 刈穂 嘉永 [グルメ]
昨晩は、秋田の「刈穂」を飲みました。この前書いた山形の「東光 山田錦」が品切れ
だったのでこれを買ってみました。これまで、秋田は「福小町」が好みでしたが、この
「刈穂」も「福小町」と並んで私好みの味でした。山形の「十四代」や青森の「田酒」
が本当は飲みたいのですが高くて手が出ません。もう十年以上前から飲んでいません。
(^^;

キンメの刺身、マコガレイの煮つけ、シラスの卵とじなど家内の手料理で美味しく頂きま
した。家内は魚屋に言われたら皆買ってしまうので困りものです。(^^;
原点 [クラシックギター]
私の1972年製河野賢8号に、数十年ぶりにオーガスチン青を張ってやりました。これまでは
プロアルテEJ45で十分だと思っていましたが、河野は学生時代はずっとオーガスチン青だっ
たので懐かしさも手伝い買ってみました。KORG OT-120で測ってみると①弦から⑥弦の1
~12フレットまでなんと±5セント以内に収まりました。以前測ったリーガルが±10セン
ト以内だったので、今回のこのセットは当たりだったのかもしれません。(^^;

やはりハードテンションなので、楽器の音量が大きくなった感じです。EJ45の様なミデアム
テンションでは、楽器の周りで音が鳴っているる感じでしたが、この青ですとポーンと音離
れが良く、所謂遠達性も出てきた「感じ」がします。(^^;

その内インペリアル青も試してみようと思っています。
天地真理 私の好きな1枚 その52 [日記]
「う年もガンバルワ」と書いてあるので1975年でしょうか。2枚目と衣装が違うだけで、
よく似た写真です。また同じカメラマンでしょうか。(^^;
新年~の筆跡は他の年のものと比べてみると「私の鑑定」では間違いなく真理ちゃんの
筆跡です。(^^;


天地真理 「はばたけ!真理ちゃん」#21 [日記]
「ピーターパン」第一回ゲストあいざき進也ほか
来月で「はばたけ!真理ちゃん」全26話終わってしまいます。「アタック真理ちゃん」の
アナウンスはまだなのでしょうか。(^^;
(写真は全て他からお借りしました)(順不同です)





初心忘るべからずとは言うけれど [クラシックギター]
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。と世阿弥の「花鏡」にあるそうです。読んだことはありませ
んが。(^^;
私が中学1年の1965年は、ベンチャーズのエレキブームでした。テレビで見た「ダイヤモ
ンド・ヘッド」の”テケテケテケ”に刺激され、親にエレキを買ってくれとせがんだのを思い
出します。(^^;

Gパンすら”不良”の穿くものだと言っていた親でしたから、エレキも”不良”だと言って買っ
てもらえませんでした。同じ社宅の同級生が早速エレキを買ってもらって、見せびらかして
いたのを思い出します。
ならば、クラシックギターなら”不良”ではないだろうと言って買ってもらいました。同じ
ギターなのでとりあえずお茶を濁しておこうと思ったのです。当時の松岡良治の一番安い
モデルだったと思います。下のヘッドの形だけは今でもよく覚えています。(^^;

東京音楽アカデミーだったと思いますが、サンプルのソノシートを取り寄せて聴いたのを
記憶しています。「エルビート」、おそらく私が初めて聴いたクラッシクギターの演奏だっ
たと思います。故小原安正氏か小原聖子先生の演奏だったと思います。この曲は、子供心
には大変刺激的だったと思います。
その後中学2年くらいから、溝渕浩五郎編著「カルカッシ・ギター教則本」を買ったり、N
HKの「ギター教室」を見たりしていたと思いますが、「ギター教室」は私が高校生の頃の
1968年10月~3月の故阿部保夫氏のテキスト以降の数冊しか残っていないので、1966年の
初回から見始ていたのかは記憶がありません。カルカッシの教本は、かなり適当でしたが一
度も間違えずに弾けたら次に行くようなやり方で、ほぼ全ページやったと記憶しています。
(^^;
今日思い出せば、狭い畳の部屋しかない社宅住まいでしたので、勉強机と椅子は父が使っ
ていたおさがりを使っていました。家の中には他に椅子は無かったと思います。椅子に座
って足台を使う事は既に知っていましたし、父がヴァイオリンを趣味でやっていたので譜
面台もありました。しかし私は、何の疑問もなくちゃぶ台に教本を載せて、畳にあぐらを
かいて練習をしていました。大学に入っても下宿には炬燵が付いたテーブルしか持って行
かなかったので、椅子に座って弾くのは、大学に行って授業をよくサボって練習していた
時だけでした。今更ギターのせいにしても仕方がありませんが、これが私が可山優三にな
ってしまった理由の一つです。(^^;
いささか動機不純で始めたギターですが、この様な初歩段階の大変不適切な練習が、今日の
私の構えや、押弦や、弾弦に大きく悪影響を残していると思います。
天地真理 私の好きな1枚 その51 [日記]
真理ちゃんは何を見つめているのでしょう。(^^;
この写真は「真理ちゃんとデイト」の収録の合間に撮った写真だと思います。

